認識diary

見城徹さんの「読書という荒野」を読んで、あまりにも感動して始めたブログです。25歳。社会人三年目。

言葉=思考

言葉こそ思考である。

 

 

内省するたびに、自分の感情がうまく言語化できないことがあります。

言語化できないというのは脳内で言葉にできないことです。

 

 

私は、

自分がなぜそれをしているのか。

なぜそこに所属しているのか。

なぜルールに縛られなければいけないのか。

などを考えるのが好きです。

 

 

ですが、依然として自身の言葉として思考することができません。

※本ブログを始めたのは、アウトプット練習の意味もあります。

 

 

 

その理由は

1.表現する言葉を知らない。

2.状況を言語化できない。

3.仮説思考不足。

 

 

1.2は相関してます。3は後日記事にしようと思います。

自分の感情を表現する言葉を知らないということは、

その状況にさえ気付けないということです。

 

 

私は先日「蟠り」に関する記事を書きました。

そして、「蟠り」という表現に感動しました。

www.weblio.jp

 

 

まさに感情の言語化で、

この言葉を知らないとこの感情であることを認識できないです。

 

 

 

 

どうすれば言葉を取得できるのかは前の記事にも書きました。

「読書!」

 

 

 

血肉化した言葉を取得する。

「読書は自身の思考にならない」と論じる人がいますが、

読書からそのまま答えをもらうのではなく、

自分がその言葉を読んでどう感じたかを素直に考察するのが大切だと思ってます。

 

 

 

と、また啓発的意識高い記事を書く笑

自己満足記事で申し訳ないです。

もっともっと思考を深めます!!