認識diary

見城徹さんの「読書という荒野」を読んで、あまりにも感動して始めたブログです。25歳。社会人三年目。

理論と現実の乖離

理論と現実。

 

 

 

 

社会人になってから、ビジネス本をたくさん読むようなりました。

世の中の原理や法律、人としての道徳など、

たくさんの情報に触れることで日々の生活を正すことができてます。

 

 

 

読書量を増やすことによって、

自分の中で”論理”を固めて正当化し、

理論武装する。

 

 

 

先輩には”頭でっかちだな!”と言われ、

”生意気だな”と私を嫌う先輩もいます。

 

 

 

正しいことを言っているのにと思いながらも

それだけではうまくいかないことを痛感しています。

 

 

 

 

例えば、

 

 

社内のルールに則って

”こういう決まりですから、あなたがその仕事をやってください”

と言ったところで、

その矛先の相手がいっぱいいっぱいでとても対応できなければ、

自分がその業務をこなさなければいけない。

 

 

 

逆に、自分がいっぱいいっぱいな時に、

”申し訳無いのですが、私が一杯一杯なので助けてください”

と言ったように助け舟を借りる時もある。

 

 

 

お互いがその境遇にある中で、

ルールに則って相手にバツをつけると

次がうまくいかないのです。

 

 

こうして、事業が成り立っていることを学びました。

(少なくとも建築業界は)

 

 

 

 

 

マネジメント業務になればより一層痛感します。

”部下が間違えた”ことは自身の責任になります。

理論上のルールや業務フローだけでなく、

現実に即したリスクヘッジが必要になると思います。

 

 

”私はルールに従ってここまでやりました。”

と言ったところで、

それ以上の対策が必要な場合もあるのです。

 

 

 

 

 

何が言いたいのかというと、

現実は人と人の関係で動いていることが多く、

机上の理論を振りかざす”正論”を並べても、

物事が前に進まないのです。

 

 

 

 

 

正しいことを言っているのに、

何故うまくいかないのか。

何故ダメなんだと...。

 

 

 

 

 

遅刻した部下に対して、

”遅刻はダメでしょ!”

と怒ったところで、

そんな正論は誰しもが知っています。

 

 

 

 

 

 

 

私も入社当初、

正論を振りかざし先輩と戦うことが多かったですが、

今では的外れだったこともあったと痛感します。

 

 

 

 

 

 

理論を知った上で、現実の事情と向き合うことが大切だと痛感しました。

 

クリエイティブは自分次第

クリエイティブは自分次第。

 

 

私は就職活動時代、クリエイティブな仕事に憧れていました。

クリエイティブとは何か。というのは特に考えず、

”デザイン”とか”企画”などがなんとなくクリエイティブであると認識していました。

 

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創造的であること。

デザイナーは職業として典型的な”クリエイティブ職”のように感じます。

ですが、着想を実際の成果物として製作する過程はものすごく地味な作業が多いです。

建築であれば、ひたすら寸法の検討、現地調査。

動画製作であれば、数秒の映像の切り貼り、明るさの調整。

映画撮影であれば、機材手配や場所探し。などなどと。

 

 

実際はクリエイティブな仕事のイメージがあるものも、

とても地味な作業が多いと感じます。

 

 

 

 

じゃあクリエイティブって何さ!

相対的なイメージでクリエイティブを考えると上記のような

”デザイナー”とか”企画”や”IT”などと漠然としてしまいます。

 

 

そもそもクリエイティブというのは、イメージで構成されるものではなく

「自分の内面にある性質のようなもの」

 

 

例えば、

荷運び仕事。

多くの箱を運ばなければいけないという状況で、

箱を箱に入れて、それを一気に運ぼう!と着想し

パレットやコンテナ、そしてフォークリフトが使用されています。

 

そもそもこの”荷運び”の仕事自体はとても私のイメージでは

”クリエイティブ”と言い難い仕事です。

 

ですが、”クリエイティブな発想”によって、

事業を効率化しました。

 

 

 

つまり!

クリエイティブとは所属やイメージではなく、

人の内面から出る”課題と向き合いアイデアを出す”

ことなのでは、と思いました。

 

 

人の内面から出るものなので、クリエイティブな発想を持った人は

どこに行ってもクリエイティブな仕事ができます。

 

 

もちろん、そのためには自分の情熱を鼓舞しなければ.....

 

 

 

 

「公園対談 クリエイティブな仕事はどこにある?」 
是枝 裕和

http://amzn.asia/4OqALwE

の書籍でも語られています。

 

「世の中にはクリエイティブな仕事とクリエイティブじゃない仕事が存在するわけではない。仕事に対してクリエイティブに向き合う人間と、向き合わない人間がいるだけだ」

 

 

 

 

 

明日からまた頑張ります。

おやすみなさい。

 

言葉=思考

言葉こそ思考である。

 

 

内省するたびに、自分の感情がうまく言語化できないことがあります。

言語化できないというのは脳内で言葉にできないことです。

 

 

私は、

自分がなぜそれをしているのか。

なぜそこに所属しているのか。

なぜルールに縛られなければいけないのか。

などを考えるのが好きです。

 

 

ですが、依然として自身の言葉として思考することができません。

※本ブログを始めたのは、アウトプット練習の意味もあります。

 

 

 

その理由は

1.表現する言葉を知らない。

2.状況を言語化できない。

3.仮説思考不足。

 

 

1.2は相関してます。3は後日記事にしようと思います。

自分の感情を表現する言葉を知らないということは、

その状況にさえ気付けないということです。

 

 

私は先日「蟠り」に関する記事を書きました。

そして、「蟠り」という表現に感動しました。

www.weblio.jp

 

 

まさに感情の言語化で、

この言葉を知らないとこの感情であることを認識できないです。

 

 

 

 

どうすれば言葉を取得できるのかは前の記事にも書きました。

「読書!」

 

 

 

血肉化した言葉を取得する。

「読書は自身の思考にならない」と論じる人がいますが、

読書からそのまま答えをもらうのではなく、

自分がその言葉を読んでどう感じたかを素直に考察するのが大切だと思ってます。

 

 

 

と、また啓発的意識高い記事を書く笑

自己満足記事で申し訳ないです。

もっともっと思考を深めます!!

 

 

過去は塗り替えられる。

「過去は塗り替えられる。」

 

 

タイトルは大きく出ましたが、

今回は過去にずっと気にしていたこと。

蟠りは払拭できるということをテーマにしました。

 

 

 

蟠りの解消方法。

 

 

 

わだかまりとは、

www.weblio.jp

と記載があります。

 

 

おそらくですが、みなさん何かしらの蟠りを持っていると思います。

過去の恋人とうまく決別できなかったことや、

友人関係で自分の思いが伝わらず疎遠になってしまったなどと

対人関係に置いてそのような思い出を持ってると思います。

 

 

私は先日10年間気まずいと感じていた蟠りを払拭することができました。

 

それは、

小学生の時、

両思いだった子に対して酷いことを言い放って別れました。

 

同じ中学校に進学し、

廊下ですれ違っても会話はせず、

集団行動時に意識して避けていました。

結局中学校3年間一言も話をせず、意識して避け、

別々の高校に進学しました。

 

 

とは言え、

仲良しグループが一緒だった私とその子は、

同窓会や成人式でも何度か顔を合わせる関係でした。

依然としてその内容には触れず、周りも知っているけどいじらない状況でした。

 

 

そして10年経った今、中学校の同窓会が開かれ、

またその子との再開を果たしました。

 

 

社会人になって初めての同窓会だったので、

どこか自分も社交性に自信を持っていて、

過去のことも気にせず、話しかけました。

 

 

ある程度会話をしていると、

周りの友人が、過去の事件(小学校の時から気まずかった話)をいじってきました。

お互い柔軟に流し、その事件を笑い事にしました。

 

 

「過去の話題をお互いが笑い話に変える。」

あんなに長い間気にしていた過去の出来事が、

現在でポジティブな話題に変換されました。

私はその瞬間を認識できました。

 

 

 

イメージを払拭できたと認識できた理由は、

1.相手が笑えていることを認識できた。(相手の印象)

2.イメージの齟齬を擦り合わせられた。(内容の不整合是正)

3.私的な悩みから公的な悩みに変換した。(周囲のイメージ操作)

だと確信しています。

 

 

 

笑い話にするのは簡単ではありません。

もし、相手がとても傷を負っていた場合笑い話にすることは

相手を傷つけることになります。

 

 

 

今回のタイトルは大きく出ましたが、

自分と相手の2人で共有していたマイナスの過去は、

それぞれのフィルターを通してイメージを持っています。

 

 

 

その今持っているフィルターをポジティブなものに変えることは可能です。

(今回は笑い話に変えるという方法でした)

これが過去を塗り替えられると感じた出来事でした。

 

 

 

 

思いの丈のままに書き記しました。

読書は自分を加速させていた。

 

読書は自分を加速させていた。

 

 

自分が感じたことや考えたことが、

本を読むと「言語」となって腑に落ちることがあります。

 

 

見城徹さんの"読書という荒野"という書籍でも語られています。

「血肉化した言葉を取得せよ」

 

 

まさに言語の獲得です。

※以下言語化と略

 

言語化は、問題の答えを出せた時のように

悩みであればどこか心を晴らしてくれるし、

喜びであればその喜びがどこからくるかを理解させてくれます。

 

 

私は落ち込んだ時や悩んでいる時に自己啓発本を読みます。

お恥ずかしい話ですが、

成功者の本を読み、

 

 

"自身の行動が間違っていなかった"

"上司のいう通りだったな、反省しよう"

 

 

などと、腑に落ちないことを自分に落とし込んでいました。

私は見城さんの本を読んで、

”言語を取得していたんだ!”

とハッとさせられました。

<これもまた、言語取得でした>

 

 

 

 

 

”なぜお前は、

読書が自分を加速させていたと感じるんだ”

 

私は最大手プレファブ住宅メーカーに勤務しています。

就職した理由は事業の合理性でした。

職人不足や環境不良、長工期によるロスコストの発生など、

社会の問題に対して合理的に問題を事業を進めているという印象を受けたからです。

 

私は社会人2年目でコンパクトシティ開発業務に従事していました。

この時、自分の中で悩みがありました。

 

 

”隣の芝が青く見える"

 

 

そうなんです、

隣の芝が青く見える。

 

 

私の業務は主にマネジメント業務であり、原価・品質・納期を会社の求める基準を満たすようにチームに指示を出す役割でした。

その一方で私の友人は営業職として営業活動を真っ当し成果をあげていました。

 

 

マネジメントの業務は、プロダクト全体の責任を負う上に、

成功して当たり前です。

同僚との評価指標に差がつかないことにも苛立ちを覚えていました。

 

 

 

”見える成果を得たい”

という思いが自分の中で強くなり、

転職活動をしたこともありました。

 

 

 

 

ですが、

読書を繰り返すことで

価値観のブレがそういう思いをさせていることに気づかされました。

今の業務にも十分な魅力があり、

他者のいいところだけが輝いて見えてしまう。

 

まさにコンパスを持っていない状況でした...。

 

 

 

 

"自分がどうありたいかを明確に決める"

私がその時読書をして取得した言葉です。

とても当たり前ですが、

大きなエネルギーをもっている経営者の言葉に重みがのっていました。

 

 

 

 

自分がどうありたいか?

自分で見つけるのはとっても難しいです。

 

 

なので、ロールモデルを見つけるためにこれからもまだまだ読書します。

 

 

 

 

 

 

 

技術は常に前を向いていた。

今日は「メンテナンス・レジリエンスTOKYO2018」に行ってきました。

 

 

第二次産業の主要産業である製造業や建設業の技術展覧会。

生産性を高めるためのシステムや、

作業を楽にする道具、

環境を整えるための大型設備等最新の技術の展示会が行われていました。

 

 

そして、私の一番の感想は、

「知らない名前の企業がたくさんあること」でした。

 

 

そんなの当たり前だろ?と思う方もいらっしゃると思いますが、

当たり前であることにさえ気づいておらず、感動しました。

 

工場の汚水処理問題を解決するための設備を開発している会社や、

部材の接合部を強固にするためにナットを開発している会社、

小ロット生産に特化したシステムを提供している会社などなど。

 

 

私の世代では、

第三次産業のサービス業(IT、人材、広告)就職が

流行りになっていた印象が強かったために、

BtoBのコアな悩みを解決する、設備会社が多々あることに感動したのです。

 

 

 

「お前はなぜ感動してるんだ」

生産の過程で、

”流行りや生産量のニーズに答えたい。”

そう思った時に設備開発を行ったり、システムを合理化しようと着想すると思います。

 

 

その着想を解決するために、

設備・システムを開発するには非常に労力を割かなければいけません。

<寸法に落とし>

<材を選定し>

<加工・組み合わせする>

 

 

その技術の集積が展示会で発表されていたことに、

”人が悩みを解決するために熱量と労力を割いた成果展示会ではないか”

と思ったわけです。

こんなにも技術は前向きなのか!と感動しました。

※もちろん開発したシステムを周知して、利益につなげるための展示会だということは認識しております。

 

 

 

ECによって生活レベルの製品、

企業はかなり認知度を高め人々の脚光を浴びていますが、

その製品はこうした第二次産業の恩恵を受けていることに気づけてよかったです。

 

 

 

情熱的に製造業を盛り上げようとする企業や製品に対して、

もっと生活者が関心を高めたら日本の産業はもっと加速すると思いました。

そして、少しでもこのような技術や情熱を応援して欲しいと思う気持ちでいっぱいです。